- 全国 > 石川県 > 小松市(小松市) 1931年から1940年 -
SN | 発生日時 | 被災箇所 | 遭遇者内訳(人) 注)死者は行方不明者含む |
被害概要 | 気象状況 | 引用資料 | |||||
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日 | 時間 | 資料記載 | 固有名称 | 遭遇者 | 死者 | 負傷者 | 代表資料名 | 発行 | |||
78 | 昭和6年 (1931) 2月27日 |
記載なし | 能美郡 新丸村杖(現小松市) | 4 | 1 | 称戸間ヶ嶽地内で通行人1名雪崩に埋没、1日12時頃死体で発見。 | 記載なし | 北国新聞 | 昭和6年 (1931) 3月4日 |
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84 | 昭和9年 (1934) 1月13日 |
14:00 | 能美郡 西尾村 波多羅-尾小屋間第3トンネル(現小松市) | 1 | 1 | 波多羅鉱山から尾小屋に買い物に行く途中の鉱夫、雪崩に埋没死亡。波多羅-尾小屋間第三トンネルを通過の際。 | 記載なし | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 1月14日 |
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86 | 昭和9年 (1934) 1月22日 |
8:00 | 能美郡 西尾村尾小屋 中出合(現小松市) | 12 | 3 | 3 | 雪泡が民家4棟を倒壊、12名埋没、3名即死。9名危篤とあるが生存とする。(2,3人擦り傷) | 金沢地方は21日より猛吹雪。「今日は、こんなに降っているところから見ると、泡崩であろう。この間からの雪で、下が凍っていたところへ雪が積もったのが、滑り落ちたのではないか」 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 1月23日 |
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87 | 昭和9年 (1934) 1月22日 |
13:00 | 能美郡 西尾村尾小屋 (現小松市) | 尾小屋鉄道尾小屋駅前の倉庫が雪崩で倒壊。 | 同方面、積雪8尺 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 1月24日 |
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88 | 昭和9年 (1934) 1月22日 |
17:00 | 能美郡 西尾村尾小屋丸山道(現小松市) | 尾小屋鉱山 | 鉱山住宅1棟全壊、2棟半壊するが人畜死傷なし。 | 同方面、積雪8尺 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 1月24日 |
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89 | 昭和9年 (1934) 1月22日 |
午後 | 能美郡 西尾村尾小屋 (現小松市) | 民家1棟雪崩のため半壊するが人畜死傷なし。 | 同方面、積雪8尺 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 1月24日 |
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90 | 昭和9年 (1934) 1月26日 |
6:00 | 能美郡 西尾村尾小屋茂谷山(現小松市) | 尾小屋鉱山 | 5 | 1 | 1 | 民家1棟土蔵1棟雪崩のため全壊し、侵入して就寝中の5名埋没、1名死亡。所有者一家は避難していて無事。 | 同方面、積雪8尺 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 1月27日 |
92 | 昭和9年 (1934) 2月1日 |
4:00 | 能美郡 西尾村尾小屋 尾小屋鉱山(現小松市) | 尾小屋鉱山 | 阿手坂の鉱山舎宅1棟が向かい側通称アハ谷からの雪崩で倒壊。無人のため人畜死傷なし。 | 同地方は降雪はないが、雨模様の為、至る所で雪崩が起き、交通上危険の状態である | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 2月3日 |
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93 | 昭和9年 (1934) 2月4日 |
10:00 | 能美郡 西尾村尾小屋 丸山道(現小松市) | 五百峠上り口山頂よりの雪崩で民家2棟倒壊したが、家人は避難して無事。 | 記載なし | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 2月6日 |
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100 | 昭和9年 (1934) 3月8日 |
10:00 | 能美郡 西尾村西俣鳥越(現小松市) | 雪崩で民家1棟半壊したが、家人は避難していて無事。 | 5尺の積雪 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 3月10日 |
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101 | 昭和9年 (1934) 3月15日 |
18:00 | 能美郡 国府村佛大寺 | 道路脇の山上から雪崩が落下、死傷なきも、危険のため通行止め。 | 連日の暖気 | 北国新聞 | 昭和9年 (1934) 3月18日 |
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107 | 昭和11年 (1936) 2月9日 |
21:30 | 能美郡 西尾村尾小屋 尾小屋鉱山(現小松市) | 尾小屋鉱山 | 1 | 1 | 江ノ舞銅山宮ノ上坑入口付近に落下してきた雪崩に坑夫1名埋没圧死。 | 記載なし | 北国新聞 | 昭和11年 (1936) 2月11日 |
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117 | 昭和14年 (1939) 1月8日 |
10:00 | 能美郡 新丸村小原(現小松市) | 20余 | 2 | 3 | 入営軍人を歓送途中の一行が雪崩に襲われ5名が通称杖川に押し流され、そのうち2名雪に埋没圧死、3名重態。 | 記載なし | 北国新聞 | 昭和14年 (1939) 1月10日 |