- 全国 > 山形県 > 鶴岡市(朝日村) 1931年から1940年 -
SN | 発生日時 | 被災箇所 | 遭遇者内訳(人) 注)死者は行方不明者含む |
被害概要 | 気象状況 | 引用資料 | |||||
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日 | 時間 | 資料記載 | 固有名称 | 遭遇者 | 死者 | 負傷者 | 代表資料名 | 発行 | |||
313 | 昭和6年 (1931) 1月10日 |
13:00 | 大泉村松沢(現鶴岡市) | 2 | 1 | 国有林に長さ15町幅200間の大雪崩あり、炭焼きに従事していた者が逃げ遅れ小屋諸とも押しつぶされ、捜索したが11日夕刻まで発見されず。死亡したものとする。 | 山形新聞 | 昭和6年 (1931) 1月14日 |
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321 | 昭和7年 (1932) 3月27日 |
16:00 | 本郷村湯の沢地内県道から二里の山中(現鶴岡市) | 3 | 3 | 炭焼き中山上から雪崩落下し小屋諸とも親子3人が生き埋めとなり圧死したものと見られる。 | 山形新聞 | 昭和7年 (1932) 3月29日 |
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323 | 昭和8年 (1933) 2月19日 |
~26 | 本郷村上名川字東山県道より三里三十町の山奥(現鶴岡市) | 1 | 1 | 炭焼き小屋で雪崩にあい死亡しているのを発見。 | 山形新聞 | 昭和8年 (1933) 2月29日 |
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344 | 昭和9年 (1934) 2月2日 |
~4 | 本郷村大針字花戸より2里の山林(現鶴岡市) | 1 | 1 | 炭焼きにでかけたまま帰らないので捜索した所炭焼き小屋より10町程手前の山道で1丈余りの雪崩に押しつぶされ凍死しているのを発見。 | 山形新聞 | 昭和9年 (1934) 2月6日 |
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349 | 昭和9年 (1934) 2月11日 |
記載なし | 本郷村砂川の黒森山林内(現鶴岡市) | 2 | 2 | 兎狩に出て雪崩に襲われたらしく目下発掘作業中。2名死亡とする。 | 山形新聞 | 昭和9年 (1934) 2月13日 |
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368 | 昭和9年 (1934) 3月19日 |
9:40 | 本郷村行沢大鳥川地内(現鶴岡市) | 3 | 発電所に使用する砂利採取中雪崩の下敷となったのを付近で働いていた者達が救助、顔面を水中に突入したので人事不省に陥ったが人工呼吸を行った結果、間もなく蘇生した。 | 山形新聞 | 昭和9年 (1934) 3月21日 |
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424 | 昭和11年 (1936) 3月28日 |
8:00 | 東村大網字中村 中村堰(現鶴岡市) | 30 | 3 | 4 | 中村堰除雪作業中大雪崩落下し人夫30名のうち11名が生き埋めとなった。3名は即死、4名は瀕死の重傷を負い生命危篤である。 | 山形新聞 | 昭和11年 (1936) 3月31日 |
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465 | 昭和12年 (1937) 12月28日 |
17:00 | 大泉村大鳥地内 大鳥鉱山第一飯場(現鶴岡市) | 3 | 1 | 鉱山飯場に雪崩襲来し1名が圧死した。 | 山形新聞 | 昭和13年 (1938) 1月8日 |
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500 | 昭和13年 (1938) 3月29日 |
16:00 | 大泉村上田沢より2里離れた蕨野山(現鶴岡市) | 5 | 1 | 1 | 5名で材木堀だし作業中雪崩に襲われ2名が埋没、1名は死亡、1名は重傷を負った。 | 山形新聞 | 昭和13年 (1938) 4月1日 |
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514 | 昭和15年 (1940) 2月4日 |
15:00 | 大泉村荒沢 俗称別当山(現鶴岡市) | 2 | 1 | 2名で兎狩にでかけ雪崩にあい1名が下敷となって圧死した。 | 山形新聞 | 昭和15年 (1940) 2月6日 |
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516 | 昭和15年 (1940) 2月5日 |
記載なし | 大泉村東大鳥から約2里山奥(現鶴岡市) | 3 | 3 | 炭焼き小屋が雪崩に押しつぶされ3名が死亡。 | 山形新聞 | 昭和15年 (1940) 2月7日 |
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519 | 昭和15年 (1940) 2月5日 |
午後 | 本郷村大張山(現鶴岡市) | 1 | 1 | 炭焼きの1人が雪崩のため圧死。 | 河北新報 | 昭和15年 (1940) 2月7日 |