- 全国 > 岐阜県 > 高山市(上宝村) 1971年から1980年 -

SN 発生日時 被災箇所 遭遇者内訳(人)
注)死者は行方不明者含む
被害概要 気象状況 引用資料
時間 資料記載 固有名称 遭遇者 死者 負傷者 代表資料名 発行
232 昭和46年
(1971)
5月4日
7:00 北ア 滝谷出合(吉城郡上宝村) 北ア 滝谷出合 3 北穂高岳の滝谷出合付近で午前7時頃雪崩が発生し、3名のパーテイのうち2名が襲われた。通りかかった11名のパーテイが捜索、2名を救出したが、さらに1名岩場で孤立しているとのことで救出に向い、救助し戻る途中再び午後零時半頃幅70mにわたり雪崩発生し6名が巻き込まれた。4名は救出、2名は死亡。 朝日新聞 昭和46年
(1971)
5月6日
233 昭和46年
(1971)
5月4日
12:30 北ア 滝谷雄滝下流 北ア 滝谷雄滝下流 2 北穂高岳の滝谷出合付近で午前7時頃雪崩が発生し、3名のパーテイのうち2名が襲われた。通りかかった11名のパーテイが捜索、2名を救出したが、さらに1名岩場で孤立しているとのことで救出に向い、救助し戻る途中再び午後零時半頃幅70mにわたり雪崩発生し6名が巻き込まれた。4名は救出、2名は死亡。 朝日新聞 、信濃毎日新聞 昭和46年
(1971)
5月6(朝日)、5(信濃毎日)
234 昭和48年
(1973)
1月2日
11:10 北ア 滝谷出合付近 北ア 滝谷出合 5 2 北ア滝谷出合付近で幅50mにわたる表層雪崩が発生し、5名のパーテイのうち3名が巻き込まれ行方不明になった。付近にいた6パーテイが捜索した結果2名は午五時半頃救出、2名とも手足を骨折していたが無事収容され、残りの1名も4日午後3時頃自力で雪の中から顔を出し、捜索隊に救助された。 岐阜日日新聞 昭和48年
(1973)
1月3日
235 昭和48年
(1973)
11月20日
0:40 北ア 槍ケ岳 右俣谷中ノ沢出合 北ア 槍ケ岳 22 5 3 中ノ沢末端付近でテントを4つ張って寝たところ小規模な新雪雪崩があって、テントは4つとも雪に埋まった。雪の浅い所にいた者がはい出し他のメンバーを助けだしたが5名は雪が深い為救出出来ず、約2時間後に1.5m以上もある雪の下から遺体で見つかった。 日本列島が強い寒波に見舞われる。 朝日新聞 昭和48年
(1973)
11月23日
236 昭和48年
(1973)
12月31日
16:30 北ア 涸沢岳 西尾根 北ア 涸沢岳 19 1 テントを設営するため尾根に張り出した雪庇の状況を調べていたところ、5名が乗っていた雪庇が長さ約15m幅5mにわたって崩れ転落した。4名は自力ではいだしたが1名は雪庇の下約1000mの所で頭の骨を折って死んでいるのが見つかった。 朝日新聞 昭和49年
(1974)
1月3日
238 昭和49年
(1974)
2月9日
10:00 吉城郡 上宝村神坂 県道上宝村-神岡線(現高山市) 県道に幅約150m長さ約300mにわたって雪崩起こり、同道路は約1万5千立方米の雪で埋まった。この他同道路ぞいに4箇所にわたって雪崩がおき、この為栃尾ー新穂高温泉間約8キロが不通。またこの雪崩で電柱4本が倒れ、停電、電話回線も不通となり約85世帯が孤立している。 北日本新聞 昭和49年
(1974)
2月10日
240 昭和49年
(1974)
2月9日
12:00 吉城郡 上宝村神坂(現高山市) 幅5m高さ3mの雪崩が起き、県道剣ケ岳ー公園線が通行止めになった。 岐阜日日新聞 昭和49年
(1974)
2月10日
241 昭和49年
(1974)
2月9日
12:00 吉城郡 上宝村栃尾-神坂(現高山市) 栃尾ー神坂間の5箇所で雪崩が相次ぎ、県道槍ケ岳ー公園線が通行止めになった。 岐阜日日新聞 昭和49年
(1974)
2月10日
267 昭和55年
(1980)
12月29日
5:00 吉城郡 上宝村神坂 蒲田(現高山市) 村営ホテル「氷碧」の裏山で雪崩が発生、風呂へのわたり廊下の一部が破壊。宿泊者が別の旅館に避難させられた。 上宝村役場資料 昭和年
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-月-日
270 昭和55年
(1980)
12月29日
早朝 吉城郡 上宝村神坂 佳留萱(現高山市) 雪崩がスノーシェッドを越え、シェッド外側に駐車していた乗用車4台が埋没破損。中部工業大学保養所の壁や窓が破損、雪が侵入した。 上宝村役場資料 昭和年
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