- 全国 > 山形県 > 大蔵村(大蔵村) 1961年から1970年 -

SN 発生日時 被災箇所 遭遇者内訳(人)
注)死者は行方不明者含む
被害概要 気象状況 引用資料
時間 資料記載 固有名称 遭遇者 死者 負傷者 代表資料名 発行
620 昭和37年
(1962)
3月25日
16:00 大蔵村肘折 原巻山地内国有林 1 1 1名狩猟に出かけ雪崩に遭い死亡。 山形新聞 昭和37年
(1962)
3月26日
654 昭和38年
(1963)
3月9日
14:30 大蔵村塩ー熊高間の県道 記載なし 県道に雪崩発生し、バスは午後3時30分から10日午前7時30分まで運休。9日中の復旧は困難なもよう。 河北新報 昭和38年
(1963)
3月11日
662 昭和39年
(1964)
12月15日
6:00 最上郡 大蔵村南山 日陰地内 県道 記載なし 県道に雪崩が発生し不通となったが、除雪の結果昼頃復旧した。県道新庄―左沢線 記載なし 山形新聞 昭和39年
(1964)
12月16日
663 昭和39年
(1964)
12月23~24
夜~朝 最上郡 大蔵村升玉 折渡地内 県道 記載なし 23日夜から24日朝にかけて県道で8ヶ所にわたり長さ5~10m、高さ0.5~2mの雪崩が発生し不通となったが、24日午前10時過ぎに開通した。県道新庄―左沢線 記載なし 山形新聞 昭和39年
(1964)
12月25日
670 昭和40年
(1965)
4月16日
9:45 最上郡 大蔵村肘折 県道 約50 1 5 県道の除雪作業中高さ10m程の山の中腹から雪崩発生し、6名が生き埋めとなった。10時半ころ6名を助けだしたが1名は頭を激しく打って意識不明、間もなく死亡、残りの5名も重軽傷をおった。 積雪2m,気温上昇 山形新聞 昭和40年
(1965)
4月16日
672 昭和41年
(1966)
1月26日
18:00 最上郡 大蔵村日蔭倉 県道新庄―左沢線 記載なし 長さ30mにわたり新雪雪崩がおこり、バスが立ち往生した。同夜遅く開通したが乗客はこの間車内にとじこめられた。 記載なし 山形新聞 昭和41年
(1966)
1月27日
674 昭和42年
(1967)
1月4日
13:00 最上郡 大蔵村日蔭倉 県道 記載なし 県道で深さ1mの新雪を除雪中のブルドーザに新雪が崩れ落ち除雪車が埋まった。午後3時半頃雪を取り除いたが、雪崩の危険があるため交通不能になっている。 新雪1m 山形新聞 昭和42年
(1967)
1月5日
691 昭和43年
(1968)
3月1~2
19~翌8 最上郡 大蔵村赤松 木遠田 県道新庄―左沢線 記載なし 1日午後7時から2日午前8時までの間に県道に50mにわたって雪崩あり不通となった。除雪の結果、2日午前10時過ぎに開通。 記載なし 山形新聞 昭和43年
(1968)
3月2日
701 昭和43年
(1968)
3月22日
9:30 最上郡 大蔵村塩 県道新庄―左沢線 記載なし 県道新庄~左沢線に地すべりを伴った雪崩発生し交通不能になった。開通は25日頃の見込み。またこの雪崩で新庄~肘折間の電話も不通になった。 記載なし 山形新聞 昭和43年
(1968)
3月22日
711 昭和44年
(1969)
4月1日
6:00 最上郡 大蔵村木遠田 県道 記載なし 県道で雪崩あったが、除雪の結果9時過ぎに開通した。 記載なし 山形新聞 昭和44年
(1969)
4月1日
713 昭和45年
(1970)
1月30日
最上郡 大蔵村南山―湯の台間 県道 記載なし 県道約8kmの区間のいたるところに雪崩あり通行止めとなった。除雪したがさらに雪崩の危険があるため交通をストップし待機している。 季節外れの大雨 山形新聞 昭和45年
(1970)
1月31日
716 昭和45年
(1970)
2月19日
10:00 最上郡 大蔵村肘折 記載なし 自宅わきの県道から雪が落ち、雪がこいと雨戸6枚が破れ柱1本が折れた。吹雪でできた吹きだまりの雪が19日夜の雨でゆるみ道路から3m低くなっている家に崩れ落ちたもの。 山形新聞 昭和45年
(1970)
2月20日
721 昭和45年
(1970)
4月6日
13:40 最上郡 大蔵村南山 県道新庄―左沢線 記載なし 県道新庄―左沢線に雪崩あり不通になった。除雪の結果午後4時開通した。 記載なし 山形新聞 昭和45年
(1970)
4月7日