- 全国 > 山形県 > 大蔵村(大蔵村) 1931年から1940年 -

SN 発生日時 被災箇所 遭遇者内訳(人)
注)死者は行方不明者含む
被害概要 気象状況 引用資料
時間 資料記載 固有名称 遭遇者 死者 負傷者 代表資料名 発行
327 昭和8年
(1933)
3月18日
12:30 大蔵村南山字木遠田地内 3 2 91mの頭上断崖より雪崩襲来、3名のうち1名は免がれたが2名は雪崩に埋没川に押し流され、40分後に発見救出される。1名は重傷。 山形新聞 昭和8年
(1933)
3月20日
333 昭和8年
(1933)
4月3日
15:00 大蔵村南山地内の山腹 1 1 山腹を通行中、長さ2町の大雪崩が襲来し3m余りの断崖から銅山川に墜落救助されたが、全治2カ月の重傷。 山形新聞 昭和8年
(1933)
4月5日
343 昭和9年
(1934)
2月1日
13:00 大蔵村南山木遠田地内 3~5 3 通行中の数名が雪崩のため埋没され15時間も生き埋めとなったが、凍傷及び擦過傷を負ったのみで助かった。 山形新聞 昭和9年
(1934)
2月3日
357 昭和9年
(1934)
3月1日
記載なし 大蔵村清水~肘折 記載なし 2,3日好天が続いているため雪崩が頻発し交通途絶した。 山形新聞 昭和9年
(1934)
3月2日
384 昭和10年
(1935)
1月4日
6:30 大蔵村南山字永松鉱山より大切部落に至る道路 4 鉱山から部落にいたる道路の雪踏み作業中15.15mの高所から雪崩襲来し4名は崖下21.21mの谷底まで吹き飛ばされ埋没したが、雪が浅く1名が這い出し救助を求め、他の3名も救出された。 山形新聞 昭和10年
(1935)
1月6日
387 昭和10年
(1935)
2月9日
8:00 大蔵村豊牧 日影倉地内 1 通行中雪崩襲来し40mの断崖の下に首迄雪に埋まっているところを救助された。最初の雪崩で谷底に墜落し這出そうとしたところ、再び雪崩が来て首迄埋まっていたもの。 山形新聞 昭和10年
(1935)
2月9日
392 昭和11年
(1936)
1月6日
13:00 大蔵村柳淵発電所銅山川上流深川難所 記載なし 発電所上流に約6mの雪崩発生し約1時間半発電機運転不能に陥り新庄町地方の動力その他に支障をきたした。 山形新聞 昭和11年
(1936)
1月7日
431 昭和11年
(1936)
4月13日
3:45 大蔵村永松銅山 永松銅山 25 11 銅山工夫長屋に大雪崩襲来し3棟8戸を埋めそのうち5戸の家族は脱出したが3戸11名は埋没死亡。 夜来の暖気と雨 山形新聞 昭和11年
(1936)
4月14日
432 昭和11年
(1936)
4月17日
10:00 大蔵村字石牛首 記載なし 県道に雪崩とともに土砂崩壊し交通不能となったが午後2時に復旧。 山形新聞 昭和11年
(1936)
4月19日
436 昭和11年
(1936)
4月27日
17:00 大蔵村赤松烏川菅沢の国有林地内 記載なし 土砂が雪崩とともに崩壊し下方にあった亜炭山の飯場(奥行き5間、長さ12間)を埋没し、亜炭坑口も埋没した。なお他10戸も崩壊したが、かねて避難していて住人は無事だった。 山形新聞 昭和11年
(1936)
4月29日
440 昭和11年
(1936)
12月8日
11:00 大蔵村南山 高森堰トンネル工事飯場 7 4 3 高森堰潅漑用トンネル工事飯場に土砂混じりの大雪崩襲来し、飯場はペシャンコになった。7名が生き埋めになり4名死亡、3名は救助された重態である。 早朝からの猛吹雪 山形新聞 昭和11年
(1936)
12月8日
458 昭和12年
(1937)
2月23日
12:10 大蔵村永松銅山大口洗鉱所付近 永松銅山 5 2 3 永松銅山大口洗鉱所付近で高さ9.1mのところより雪崩が事務所の一部に襲来、洗鉱所の一部を倒壊し4名が埋没された。直ちに掘り出されたが1名は即死、1名は3時間後に死亡。3名は重軽傷を負った。 山形新聞 昭和12年
(1937)
2月25日
498 昭和13年
(1938)
3月7日
0:30 大蔵村南山地内南山 2 1 発電所に120m上部にある南山から大雪崩襲来し社宅を消し飛ばし銅山川に墜落させた。1名は下敷となって死亡、1名は辛うじて助かった。 山形新聞 昭和13年
(1938)
3月8日