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SN 発生日時 被災箇所 遭遇者内訳(人)
注)死者は行方不明者含む
被害概要 気象状況 引用資料
時間 資料記載 固有名称 遭遇者 死者 負傷者 代表資料名 発行
320 昭和6年
(1931)
4月1日
8:30 瀬見発電所前の山 瀬見発電所 1 1 瀬見発電所前の山へ薪取りに行った際頂上から約5坪の土砂混じりの雪崩が頭上に落下し雪崩と一緒に瀬見川に墜落、川の中で土砂に押し潰されて溺死ともつかぬ即死をとげた。 山形新聞 昭和6年
(1931)
4月2日
326 昭和8年
(1933)
3月17日
10:20 羽前向町瀬見間 陸羽東線 記載なし 雪崩線路を埋没したが直ちに除雪、列車に支障無し。場所:最上町 昨日来降雪 山形新聞 昭和8年
(1933)
3月18日
336 昭和9年
(1934)
1月12日
記載なし 東小国村富沢~赤倉温泉 (現最上町) 1 1 炭焼きに行きその帰途に雪崩にあい行方不明。現場山中は4箇所の谷間に幅6.1m、長さ100m位にわたり山嶺より吹雪の吹き溜まりがあってそれが12日ー15日にわたって崩雪し数10丈谷間より山腹に押し上げられた場所があるのでそこに埋没したらしい。死亡とする。 山形新聞 昭和9年
(1934)
1月19日
339 昭和9年
(1934)
1月23日
17:00 西小国村大又山法田 大又山官行事務所(現最上町) 8 4 2 造林事務所主事が屋根雪下ろし中雪崩に襲われ官舎にいた家族4人と共に埋没されたが脱出、救助を求めに付近の炭焼き小屋にたどりつくがそこも2名が小屋諸とも雪崩にあい1名死亡、1名重傷を発見、さらに他の炭焼き小屋に救助を求め約15時間後に家族を発掘した。1名重傷、3名死亡で発見された。 山形新聞 昭和9年
(1934)
1月27日
352 昭和9年
(1934)
2月20日
記載なし 東小国村富沢字黒澤より約20町の国有林内(現最上町) 1 1 狩猟に出たまま行方不明になっていた者が23日午後2時になって、兎を背負い鉄砲を抱いたまま圧死しているのが発見された。 山形新聞 昭和9年
(1934)
2月27日
356 昭和9年
(1934)
2月20日
記載なし 富沢部落より西方3里 1 1 富沢村を眼下に見おろす高山に囲まれた渓谷で雪崩の難所として恐れられている所で、雪崩襲来しその下敷になったもの。 好天のため気温上昇 山形新聞 昭和9年
(1934)
2月24日
361 昭和9年
(1934)
3月9日
5:30 瀬見長沢間78キロ付近 陸羽東線 記載なし 大雪崩が線路に落下し除雪中に次の雪崩落下し不通。場所:最上町 福島民報 昭和9年
(1934)
3月10日
362 昭和9年
(1934)
3月9日
6:30 瀬見長沢間78キロ付近 陸羽東線 8 線路に落下した雪崩を除雪中又雪崩発生,8名が生き埋めになったが、午前8時頃全員救助した。場所:最上町。除雪は午前10時頃復旧し、12時20分発の列車より開通。 山形新聞 昭和9年
(1934)
3月10日
367 昭和9年
(1934)
3月16日
18:30 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 樹木、電柱を交えた雪崩落下し電線不通となったが除雪の結果17日午前3時に開通、列車ダイヤに支障無し。場所:最上町 山形新聞 昭和9年
(1934)
3月18日
374 昭和9年
(1934)
3月20日
15:00 瀬見向町間 瀬見駅より約1300m地点 陸羽東線 記載なし 雪崩で約20mの線路が埋没し、約50分で復旧、列車約15分の遅延。場所:最上町 山形新聞 昭和9年
(1934)
3月22日
375 昭和9年
(1934)
3月24日
6:00 西小国村県道 (現最上町) 1 1 県道に雪崩襲来し営林署及び警察電話柱十数本をへし折って道路は途絶しこれを目撃していた1名が腰を抜かし転倒し人事不省に陥ったが、手当の結果蘇生した。 山形新聞 昭和9年
(1934)
3月25日
379 昭和9年
(1934)
3月30日
15:00 西小国村瀬見温泉付近 瀬見温泉より東北方約30m(現最上町) 記載なし 小松原山より県道筋に土砂混じりの大雪崩襲来し、杉、松等数十本、他警察営林署の電話柱も十数本へし折り県道を埋没したため、交通は途絶し通信機関にも混乱を来たしたが17:30に開通した。 山形新聞 昭和9年
(1934)
3月31日
381 昭和9年
(1934)
4月22日
9:04 羽前向町瀬見間73キロ95メートル付近 陸羽東線 記載なし 線路上に雪崩落下してるのを線路工手が発見、列車51分遅発。場所:最上町 山形新聞 昭和9年
(1934)
4月23日
388 昭和10年
(1935)
2月18日
10:00 東小国村赤倉温泉(現最上町) 記載なし 赤倉温泉共同浴場に雪崩襲来し倒壊したが客はおらず負傷者は無し。 山形新聞 昭和10年
(1935)
2月20日
394 昭和11年
(1936)
1月19日
0:35 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 雪崩が襲来しているのを線路工手が発見2時間35分後3:10にようやく復旧。場所:最上町 山形新聞 昭和11年
(1936)
1月20日
395 昭和11年
(1936)
1月22日
5:30 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 列車進行中左側山腹より雪崩襲来し間一髪のところで埋没を免れた。7:50に復旧。場所:最上町 山形新聞 昭和11年
(1936)
1月23日
402 昭和11年
(1936)
2月2日
14:20 東小国村大森山(現最上町) 2 1 1 製材所から約50m離れた機関室に薪背負いに従事中100mの山腹より雪崩襲来し2名が埋没され、1名は即死、1名は全治1週間の負傷をおった。 猛吹雪 山形新聞 昭和11年
(1936)
2月5日
412 昭和11年
(1936)
3月8日
14:00 西小国村瀬見駅東方1キロ 俗称鉄砲玉(現最上町) 2 通行中の2名が雪崩に襲われ埋没されたが、救助された。又てい信用電線が切断され1時不通となった。同所は雪崩の難所と恐れられている所。同所の俗称:鉄砲玉 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月10日
416 昭和11年
(1936)
3月13日
4:50 瀬見長沢間77キロ付近 陸羽東線 記載なし 雪崩襲来してるのを線路工手が発見、8時12分に開通した。場所:最上町 暖雨 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月14日
418 昭和11年
(1936)
3月15日
5:30 瀬見羽前向町間73キロ300メート付近 陸羽東線 記載なし 雪崩襲来してるのを線路工手が発見、午後10時過ぎに開通した。列車折り返し、または運休した。場所:最上町 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月16日
419 昭和11年
(1936)
3月16日
4:00 堺田富沢間60キロ付近 陸羽東線 記載なし 雪崩襲来してるのを線路工手が発見、午前6時25分開通した。貨物列車が運休したが旅客列車には支障無かった。場所:最上町 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月17日
420 昭和11年
(1936)
3月16日
12:20 瀬見長沢間76キロ付近 陸羽東線 記載なし 小雪崩襲来してるのを線路工手が発見、午後1時20分開通、列車には支障無し。場所:最上町 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月17日
422 昭和11年
(1936)
3月22日
7:10 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 雪崩襲来し除雪の結果午前7時45分復旧。場所:最上町 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月25日
423 昭和11年
(1936)
3月27日
10:00 西小国村字志茂付近山林(現最上町) 1 1 裏山に狩猟にでたままもどらないので捜索した結果、国有林内で雪崩ヶ所を発見、発掘したところ死体を発見した。 山形新聞 昭和11年
(1936)
3月29日
456 昭和12年
(1937)
2月21日
0:45 瀬見羽前長沢間77キロ280メートル付近 陸羽東線 記載なし 雪崩が襲来したのを線路工手が発見、除雪の結果、列車14分現場に立往生し延発した。場所:最上町 山形新聞 昭和12年
(1937)
2月22日
457 昭和12年
(1937)
2月22日
14:25 長沢瀬見間77キロ300メートル付近 陸羽東線 記載なし 雪崩が襲来したのを線路工手が発見、除雪の結果、15:30に復旧、列車24分遅延。場所:最上町 山形新聞 昭和12年
(1937)
2月23日
461 昭和12年
(1937)
4月3日
11:00 西小国村鵜杉字松の幅国有林 戦沢川上流渓谷(現最上町) 3 1 炭焼き作業中雪崩襲来し小屋諸とも谷底に押しつぶされたが3名のうち2名はいち早く土穴に逃れたため救出された。他の1名は谷底に流され行方不明。1名死亡とする。 山形新聞 昭和12年
(1937)
4月5日
462 昭和12年
(1937)
12月4日
記載なし 長沢瀬見間 陸羽東線 記載なし 線路に雪崩落下し、除雪の結果列車に支障無し。場所:最上町 3日夜大降雪 山形新聞 昭和12年
(1937)
12月5日
467 昭和12年
(1937)
12月31日
16:00 富沢堺田間58キロ580メートル 陸羽東線 記載なし 1 貨物列車進行中雪崩に襲われ後部7両が脱線転覆。警戒の線路工夫が負傷。3日午後8時25分復旧した。場所:最上町 山形新聞 昭和13年
(1938)
1月5日
483 昭和13年
(1938)
2月13日
13:30 東小国村大森山赤倉鉱山(現最上町) 1 1 鉱山の坑口を除雪作業中高さ45.5mより雪崩に襲われ、埋没、窒息死亡している1名が午後4時頃発見された。 山形新聞 昭和13年
(1938)
2月16日
484 昭和13年
(1938)
2月15日
16:00 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 高さ2.5m130立米の雪崩があるのを保線が発見、除雪開通。 河北新報 昭和13年
(1938)
2月17日
485 昭和13年
(1938)
2月15日
17:00 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 再び200立米の雪崩があり、除雪したが列車遅延。 河北新報 昭和13年
(1938)
2月17日
489 昭和13年
(1938)
2月21日
未明 瀬見長沢間 陸羽東線 記載なし 雪崩襲来し線路を埋没、午前8時に復旧、新庄駅発午前10時30分の列車より開通した。場所:最上町 山形新聞 昭和13年
(1938)
2月22日
495 昭和13年
(1938)
3月2日
6:32 瀬見長沢間76キロ付近 陸羽東線 記載なし 20mに及ぶ雪崩があり列車遅延。 河北新報 昭和13年
(1938)
3月3日
496 昭和13年
(1938)
3月6日
7:12 向町瀬見間73キロ600メートルの地点 陸羽東線 記載なし 雪崩襲来し長さ35mに及ぶ線路が埋没、除雪の結果午前10時15分復旧した。場所:最上町 山形新聞 昭和13年
(1938)
3月7日
511 昭和15年
(1940)
1月29日
午後 西小国村志茂字視倉見値内(現最上町) 瀬見鉱山 4 4 瀬見鉱山坑道入口付近に雪崩襲来し4名が行方不明となる。捜索しても見つからないため死亡とする。 山形新聞 昭和15年
(1940)
2月3日
531 昭和15年
(1940)
3月17日
14:00 西小国村大堀 大沢山(現最上町) 1 1 1名で薪切りに出かけ雪崩に襲われ圧死した。 山形新聞 昭和15年
(1940)
4月14日