新潟大学 English

小千谷市山本山隆起ブロック南限の東西系断層

高濱信行・内藤信明・信濃川ネオテクトニクス団体研究グループ

 小千谷市の信濃川右(東)岸(図1)で、中越地震による崩壊で東西系の断層が確認できた。 ここは古い崩壊地で、今回の地震で崩壊が拡大した結果あきらかになったものである。 この断層は、地震断層とはみられないが、この地域の複雑な地質構造を知るうえで重要な意味をもつと考える。

図1
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 ここに分布する地層は和南津層で、薄い泥岩層と礫岩層を挟む砂岩層が主体でほぼ南北走向で東に20°ほど傾斜している。 崩壊地に表れた断層面は走向N80°E~E-Wで傾斜はほぼ垂直.断層面の西側(信濃川側)が崩落して,高さ約5~10m,長さ20mほどの断層面があらわれた(写真1).断層面にはゆるい凹凸がみられ,断層のずれの方向を示す条線としてほぼ水平(写真2) ・垂直(写真3),東傾斜50~60°(写真4)方向が観察できる.写真3では東傾斜の条線を垂直の条線が切っている状況が確認できる。これは,この断層が過去に動きの方向を変えて何回も活動したことを意味する。

写真1
写真2
写真3
写真4

 本断層の東方延長では、信濃川右岸の内ヶ巻周辺でも今回の地震で大規模な崩壊が発生した。 ちなみに、ここは1970(昭和45)年に地すべりで現JR飯山線の高場山トンネルの延長の約半分が崩壊した地点でもある。 また信濃川の左岸時ノ島の水田では噴砂がみられる。

 ここは、信濃川ネオテクトニクス団体研究グループ(略称;信濃川団研)によって、 信濃川沿いの河成段丘面の高度・比高の不連続から、東西系の活断層の存在が指摘(信濃川団研,2003)された地点と一致する。 すなわちこの北側では、約1.3万年前の浅間-草津火山灰(As-K)降下ごろに離水・形成した真人面の現河床からの比高が約50mであることに対し、 この南側では真人面の比高は約20mでその差30mの大きなギャップが認められる(図2)。 図2からあきらかなように、約5万年前の大山-倉吉火山灰(DKP)降下ごろに離水した川西面、 約2.5万年前の姶良-丹沢火山灰(AT)ごろに離水した塩殿面、 約5千年前の浅間-馬高火山灰(As-Ut)ごろに離水した十日町面でもこの断層を境に顕著な比高差が認められる。 山本山の一画は信濃川中流域で、少なくとも約5万年前ごろから現在も、とくに活発な隆起ブロックと認められる。

図2
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 信濃川団研では、小千谷市から津南町の信濃川沿い延長約50kmの河成段丘の形成時期についての詳しい調査を行ってきた。 その結果、ほぼ同時代に離水・形成した段丘面の高度・比高の急激な不連続から、 図3に示すように信濃川の流下方向とこれに直交・斜交する活断層で信濃川沿いはズタズタに切られていることがわかった。 これは、信濃川中流域が大小さまざまな規模の階層構造(多重構造)をもつブロックから構成されることを意味する。 我々は、現在観察できる地質構造・活断層は地質時代からの地殻変動(地震活動)の積算=総和とみなして調査を進めている。

図3
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文献

信濃川ネオテクトニクス団体研究グループ(2003)河成段丘面の高度分布に基づく信濃川中流域の第四紀末期の活構造運動.地球科学,57:273-287.