新潟大学 English

学校の避難所としての機能について(第1次調査報告)

世取山 洋介 (教育人間科学部)

1 第1次報告

11月17日に小千谷に行って、学校が避難場所としてどのように機能したのかの第1次調査をしてきました。

2 避難所としての学校に対する異なるニーズ

今回の震災で避難所としての学校に期待されていたのは、以下の2つであったとわかってきました。

  1. 家屋が将来における使用を妨げるほどに被害を受けなかった多くの住民にとっては、余震に伴う危険を回避し、 ライフライン復旧までの基礎的なニーズを満たしてく れる一時的避難場所。
  2. そのような被害を受けた少数の住民にとっては、仮設住宅への入居までの比較的長期にわたる生活の場。

3 小千谷市部における学校が果たした現実の機能

 小千谷小学校、小千谷中学校、市教育委員会をまわり、適宜、住民への予備的な聞取り調査を行ないました。 小千谷市部において学校が、先の2つの機能をどう果たしたのかを見てきました。

1.について
小千谷市部では、(1)の機能をきちんと果たしていなかった可能性が高いことがわかってきました。 小千谷小学校および中学校には、地域住民が、避難所として指定されていても、アクセスしない場合が多く、 家の近所の、空き地、広場、病院の駐車場、近隣住民とともに、一時避難をし、車中泊をしたケースが多かったそうです(これは、市役所も認識していました)

1.について 小千谷市部では、(1)の機能をきちんと果たしていなかった可能性が高いことがわかってきました。 小千谷小学校および中学校には、地域住民が、避難所として指定されていても、アクセスしない場合が多く、 家の近所の、空き地、広場、病院の駐車場、近隣住民とともに、一時避難をし、車中泊をしたケースが多かったそうです(これは、市役所も認識していました)

 その理由は、両学校の学区が巨大であるために、これらの学校が距離が遠くにあること、 小千谷中学校の体育館の2つのうち1つは被害の大きさから使用不可能となり、もう1つも一部損壊してしまったこと、 学校では見知らぬ人と雑居しなければならないこと、それでもなお、集まってくる被災者の数が多いのに対して、 基礎的ニーズを満たすインフラが整備されていなかったこと、さらには、人数が多すぎる避難所は居心地が悪いと判断した、 ということにありそうだということがインタビューからわかってきました。例えば、小千谷小学校には最大約1000人が非難したのですが、 トイレの数が、それにみあっただけなかったそうです(5基という証言もありました)。 なお、小千谷中で被災者支援に加わっていた八潮市職員によれば、現在小千谷中の校庭でテント生活をしている49人に対して、 仮設トイレを10用意して、ようやく安定しているとのことです。

 このような現象の背後に有るのは、50年代末の市町村合併を期にして、小千谷小学校が他の4校を60年代初めに合併し、 巨大学校になったという経緯があります。 現在生徒数は1000人強、教師数40人強のマンモス校なのですが、その学区には、おそらく1万人から2万人近くの住民が住んでいると思われます。

 新聞およびその他の文書情報を分析すると、小千谷南部の山間部では、地域の学校に、数百人のオーダーで避難している例が多いことがわかります。 池が原では、小学校崩壊の危険性から、総合体育館への非難を示唆されたにもかかわらず、 住民300人がいくつかのビニールハウスに避難しているという実例もあります。 また、先の八潮市職員は、彼を含め10人の県外の自治体の職員と働いているのですが、 「避難所は300人でもきつい。それ以下でないとコントロールできない。」と言ってました。

 どうやら、住民が安心していこうと思え、基礎的なニーズも充足されやすい一時避難所は、近くにあり、かつ人数が300人前後という、 イメージになりそうです。長岡平野の東縁に北から南にほぼ等距離に配置されている長岡市の多くの小学校は、そのように機能していたことがわかってきています。今日、小千谷市役所で、震災以前に作成した防災計画関連文書を入手してきましたので、計画で、避難所をどのようにイメージしていたのかを、検討して行く予定です。また、巨大避難所とそうでない避難所の比較(運営実態を含めて)をしてみようかと思っています。

2.について
手付かずです。